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榮壽寺 寺院紹介

大阪・玉造で200年を超える 歴史を歩んできた榮壽寺です

旧本堂から新本堂へと受け継がれてきた、
榮壽寺の歩みや寺院のことをご紹介します

寺院紹介

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TEMPLE HISTORY

「200年を超える歴史」とともに大阪・玉造の地で

長松山 榮壽寺は、大阪市中央区玉造にある本門佛立宗の寺院です。

その歴史は江戸時代後期、文政元年(1818)10月、京都・妙蓮寺(現在の本門法華宗大本山)の燈王院日傳上人によって「榮壽庵」が開創されたことに始まります。

その歴史は江戸時代後期、文政元年(1818)10月、京都・妙蓮寺(現在の本門法華宗大本山)の燈王院日傳上人によって「榮壽庵」が開創されたことに始まります。

大正5年、第3世講有日隨上人が住職となられた際に本門佛立宗へ帰属。その後、一時は廃庵となりましたが、第4世住職日延上人によって再建への歩みが始まりました。

昭和2年、日延上人が大坂長松組常在講師として着任し、大阪市港区朝潮橋に仮親会場を開設。翌昭和3年には港区六条通へ移転して「長松教会」と改称し、ご弘通の発展とともに、昭和7年には港区田中元町に本堂が建立されました。

しかし、昭和20年の大阪大空襲により、本堂・庫裏をはじめとするすべての建物を焼失。ご信者方も罹災するという大きな困難に見舞われました。

それでも榮壽寺へと続く歩みが途絶えることはありませんでした。

終戦後の昭和23年、日延上人と残った7戸のご信者方によって、玉造の地に仮道場を建立。榮壽庵の「榮壽」を寺号に、長松支部の「長松」を山号とし、現在へ続く「長松山 榮壽寺」となりました。

昭和35年には、ご信者方とともに念願の本堂を再建。昭和51年には第5世住職日苗上人、平成23年には第6世住職 横田光延師へと、その歩みが受け継がれていきます。

長年親しまれた本堂は、阪神・淡路大震災の影響などによる老朽化から建て替えが行われ、平成31年(2019)に現在の本堂が完成。同年6月には新本堂開堂式が奉修され、新たな歩みを始めました。

そして令和7年12月には第7世住職へと交代し、榮壽庵の開創から200年を超える歴史が、現在へと受け継がれています。

現在の榮壽寺

現在の榮壽寺では、日々の御題目口唱をはじめ、葬儀、ご回向、年回忌などの各種法要を奉修しています。

現在の榮壽寺では、日々の御題目口唱をはじめ、葬儀、ご回向、年回忌などの各種法要を奉修しています。

現在の建物はバリアフリーに配慮し、靴を履いたままお入りいただけるほか、エレベーターも備え、ご高齢の方や足の不自由な方にもお参りいただきやすい環境を整えています。

長い歴史の中で大切に受け継がれてきたものを守りながら、初めての方にも親しみを感じていただける、身近なお寺を目指しています。

長い歴史の中で大切に受け継がれてきたものを守りながら、初めての方にも親しみを感じていただける、身近なお寺を目指しています。

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終活・日々のご相談

榮壽寺では、葬儀やご回向、法要、納骨など、さまざまな仏事についてご相談を承っています。

また、住職は終活カウンセラーの資格を取得しており、生前整理、葬儀や納骨、これからの人生やご家族のことなど、終活のご相談にも対応しています。

「何から始めればよいか分からない」という方でも構いません。終活に限らず、日々の暮らしの中で抱えているお悩みも、どうぞ気軽にお話しください。

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200年以上、多くの方々によって守り、受け継がれてきた榮壽寺。

その歴史と仏さまの教えを大切にしながら、これからも玉造の地で、皆様と共に歩んでまいります。

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CONTACT

榮壽寺へのお問い合わせ

ご相談・ご質問は、お問い合わせフォームまたは公式LINEから承っております。

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